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これまでごくまれに悪天候(=降雪)下で開催されたことがあるがこの為に交通手段が影響を受け、選手や関係者が到着できずにあわや失格の危機に瀕した事例もある。 緊張のあまり襷をせずに走り出して、慌てて戻ってきた選手もいた。 箱根山中で箱根登山鉄道の踏切に駅伝の隊列が引っかかり、止むを得ず選手を先に行かせて関係車両が後から追いかけるハプニングもあった。最近ではバイクカメラによる中継で選手を後ろから追うことも多くなっているが、このハプニングの際には通常は選手の正面から撮影している大型の中継車が選手の後姿が放映するという、当時としては珍しい映像が放送される事態になった。高速バス TDL 大会を支えているのは関東学生陸上競技連盟に加盟している加盟校である。創設以来の学生主体を現在も守り、沿道の走路員スタッフとして学生が起用されている。箱根駅伝に出場するチームで選手や付き添い以外の部員、予選会で落選したチームの選手のほかにも1年生を多数スタッフとして送り込んでくる大学、トラック&フィールドも抱える大所帯の大学からも多数のスタッフが派遣される(過去には末續慎吾、為末大なども走路員としてスタッフに加わった)。このことからも分かるように箱根駅伝は実は単に長距離選手だけで行われているのではなく、多くの裏方に支えられている。その裏方とは種目は違えど、一緒に汗を流すチームメイトでもある。 前回大会でシード権を逃した大学と、次の大会の予選会で本選出場権を獲得した大学が全て一致するという事態は、過去に予選枠が6校だった第56回-第57回、第61回-第62回と、予選枠が9校になってからでは第82回-第83回の計3回しか起きていない。 沿道で配られる読売新聞社と報知新聞社の応援小旗には懸賞応募券が付いている。これは使い終わった小旗を観客が沿道に捨てるのを防ぐための工夫である。ちなみに2007年の懸賞は1等から8等まであり、1等は「箱根ホテル小涌園 宿泊招待券」だった 一度大学を卒業した人が箱根を走りたいと言う思いだけで有力校に再入学し、箱根を走った選手がいた。高速バス 横浜 大会・運営そのもの以外の箱根駅伝にまつわる話 ※報道に関するエピソードは当該節(報道に関するエピソード)を参照の事。 第78回(2002年)では、本番間近の頃、大学近くで万引き犯を見つけた専修大学の選手が「俺は絶対に箱根駅伝を走るんだ。どこまでも追いかけてやる」と犯人を取り押さえ逮捕に貢献。この選手は実際に本番で走ったが腹痛で区間最下位に終わり「前を行く選手までは捕まえられなかった」と新聞のネタにされたものの、一連の善行で知名度が上がりその本番では「沿道から名前で呼んで応援してもらえて、とても嬉しかった」と喜んだ。 2005年3月には芦ノ湖畔に箱根駅伝を題材にした箱根駅伝ミュージアムがオープンした。スポーツを題材にした博物館は多いが、1つの行事として[6]博物館化されることは極めて珍しい。運営は富士屋ホテルが行っている。高速バス 広島 箱根駅伝が抱える問題 一連の問題については生島淳著『駅伝がマラソンをダメにした』[7]の中でも触れられているが、同書は主に箱根駅伝についての問題点を指摘している。 箱根駅伝をめぐる問題は最近の人気沸騰によって、逆に多くの問題が浮き彫りにされてきた。以下に主要な議論をまとめる。なおこれらを解決すべく、関東学連に設けられた「駅伝対策委員会」の存在に期待が集まる。 過去の問題高速バス 格安 第二次世界大戦前から終戦直後にかけては学生数の絶対的な不足もあって、1チーム10人のメンバーを組むこと自体が困難だった。その為に他種目の選手が多用されたことは前述の通りである。従ってレースも10校以下で行われることが多かった。 モータリゼーション化で交通渋滞が増えてきたのが高度経済成長の頃。全国的な知名度はまだ少なかったがコース沿線地域での人気は高かった為、コース周辺の交通渋滞に警察からも開催中止要請が出たこともあった。主催者側と警察側との折衝で15校制や繰上げスタートなどのルール改正がなされたことにより、中止要請は出なくなり15校制は第78回(2002年)まで続いた。 留学生SEOとは テレビ放送開始と共に登場してきた山梨学院大学は出場3年目にしてアフリカ人留学生の選手を呼び入れた。主催者側の判断により箱根駅伝を外国人選手が走ることが出来るようになり、その圧倒的な走りで新風を巻き起こした。パラオ ダイビング 1980年代後半からレース全体のスピードアップが進んだことにも、留学生の登場が大きく影響している。その一方で留学生起用に対しては現在でも賛否両論が多い。既に全国高校駅伝やニューイヤー駅伝では外国人選手の起用制限事項(1チームあたりのエントリー数、起用区間の制限など)があるが箱根駅伝でも第82回(2006年)からは制限事項を設けると言う話もあり、実際に2005年秋の予選会ではエントリーは2人、出場は1人となっている。 制限事項を設けることは国際化の流れに逆行するという意見の一方で外国人選手と日本人選手との能力差が大きい場合もあり、その不公平感解消の為にも制限は当然とする考え方(国内大会に “助っ人外国人”を用いてよいのかという意見)も存在し現在進行形で議論が進んでいる。現在は留学生をチームのメンバーとして使うことはルールでは禁止されておらず、出場は各チームの判断に委ねられる。石垣島 ダイビング なお、白人・アジア系留学生が選手として選ばれ出場した例は皆無である。 途中棄権 (以上延べ10校・12件) 1970年代までの50回以上行われた大会の中で僅か3件しかなかった途中棄権が、1995年以降の15年間で9件も起きている。特に第84回(2008年)では3校が途中棄権、第72回(1996年)では2校が途中棄権している。また第77回(2001年)には東海大学が、翌第78回(2002年)には法政大学が共に2区という早い段階で途中棄権している。その他にも棄権には至らないものの故障や体調不良によるブレーキの事例が例年続いている。セブ ダイビング チーム競技である駅伝の特性上、体調を崩していても故障を起こしても選手は「襷をつなぎたい」と思うが故に指揮官としてもなかなか止められないという側面もあるが場合によっては選手生命にも影響を及ぼしかねないため今後の重要課題となっている。 第79回(2003年)からはエントリー数の増加に際し本番までのチームマネジメントに余裕を与えるよう配慮がなされたが成績が良かったりチームのまとめ役だったりすると体調が悪くても本人の責任感もある上、監督としてもチーム事情ゆえ出場させてしまうという問題は変わっていない。ビジネスホテル大阪 第84回(2008年)では順天堂大学、大東文化大学、東海大学の3校が途中棄権するという史上初の事態が生じた。同一校で2度の途中棄権(順天堂大学、東海大学)も史上初。前年優勝校による途中棄権は第72回(1996年)の山梨学院大学に続き2校目である。特に脱水症状による途中棄権やブレーキが増えている傾向にあり既に大会関係者やファン、メディアなど各方面から改善を求める声がみられる。宮古島 ダイビング 途中棄権については「競技実施要項」において、「競技者が競技中に故障などによって走行困難となり、歩行、立ち止まり、横臥の行動に移った場合、本人がなおその競技続行の意思を持っていても、運営管理車に同乗の競技運営委員、走路管理員、監督またはコーチの三者合意により競技を中止させる。競技の中止は競技運営委員が赤旗をあげ、走者にマイクで通告することによって示す」と規定されている。 なお途中棄権した区間以降の区間にエントリーした選手について、かつては個人記録および一部のチーム記録(往路で途中棄権した場合は復路のチーム記録のみ)が公認されたことがあり第72回(1996年)では往路4区で途中棄権した神奈川大学が7区と9区で区間賞を獲得しているが現在のルールではオープン参加扱いとなり記録は非公認(参考記録)となる。 駅伝偏重とインカレポイント大阪ビジネスホテル 大学経営策の一環として、箱根駅伝にPR効果を期待する大学が増えている。その為「陸上競技部」と称しながら実際には長距離部門を中心に運営している大学や挙句の果てには「駅伝部」を称する大学も見られ、「トラック&フィールドの軽視」「駅伝偏重」が問題視されている。 予選会に出場する大学の中には予選会に全力を傾ける為、インカレへの出場に消極的になりがちな大学もある。駅伝競技に限ったことではないが合宿や遠征などで長期に授業を欠席する・それが許される状況が発生しているチームの存在もささやかれていて、「学生の本分」の観点からの指摘もされている。 次第に大きくなる箱根人気によって一連の流れが全体的に加速傾向にあり、箱根駅伝が大学側のスポーツ選手の受け入れ体制に与えている影響が強くなっており学生でもある選手のスカウトの激化に疑問や警鐘を鳴らす声もある。